川田 順

「葵の女 川田順自伝」明治35年2月発表
 根岸の時代
 根岸の茶室
 これでも明治の昔は、大江戸の名所呉竹の根岸の里に住んでゐたボクなのである。小著の1巻に付けた年譜の冒頭に
 明治15年(1歳)―1月15日東京三味線堀に生る。父は文学博士甕江川田剛、母は浅草蔵前商家の女本田かね。
(以下省略 川田順は歌人で実業家[住友本社勤務]で宮中歌会始の選者になったこともある。文献の多くには生地は浅草区三味線堀としているが、安中市のホームページには東京下谷竹町と記載している。正式の町名としては「浅草区三味線堀」は存在したことはないし、それまでの使用例から生地は下谷区竹町が正しいと思う。括弧内掲載者注)